安心して食べられる食品を求める気持ちは、誰にとっても共通の願いです。その願いを支えるために、私たちは科学的な根拠に基づいた検査を日々行っています。ここで重要なキーワードとなるのが、「精度管理」というキーワードです。精度管理とは、検査結果の正確性と信頼性を保証するために行われる一連の活動を指します。これは日々の検査業務の質を向上させ、誤った判断を防ぎ、最終的には消費者の信頼を獲得するための指針となるものです。本記事では、食品検査における精度管理の重要性、具体的な取り組み方、現場で直面する課題とその対策までを網羅的に解説します。検査機関に入社されたばかりの皆様が、精度管理の基本を理解し、日々の業務に自信と責任感を持って臨めるよう、平易な言葉で丁寧にご紹介していきますので、ぜひ最後までご一読ください。目次1. なぜ「精度管理」が重要なのか?🧬 食品検査は「人の健康・命に直結する」検査である食品検査は、私たちの食卓に並ぶ食品が安全であることを確認するための非常に重要なプロセスです。もし食品に有害な物質や微生物が含まれていれば、それを口にした人の健康を害し、最悪の場合には命に関わる重大な事態を引き起こす可能性があります。検査機関で働く私たちは、まさに「人々の健康と命を守る」という大きな責任を担っています。その責任を果たすためには、一つひとつの検査を正確に行い、信頼性の高い結果を提供することが不可欠です。⚠️ 結果のばらつきや誤判定がもたらすリスク検査結果にわずかなばらつきや誤判定が生じるだけでも、社会に大きな影響を与えることがあります。例えば、実際には安全な食品を誤って「有害」と判定してしまった場合、その食品は市場から回収され、生産者や販売者は大きな経済的損失を被ることになります。また、消費者の間に不安が広がり、風評被害によって関連製品の売れ行きにも影響が及ぶかもしれません。反対に、有害な食品を見逃してしまえば、食中毒などの健康被害を引き起こす可能性があり、被害者だけでなく、検査機関自体が法的責任を問われることにもなります。このように、検査の精度は単なる数値の問題ではなく、健康・経済・社会的信頼に直結する非常に重大な要素なのです。🔁 正確で再現性の高い検査が求められる理由食品検査に求められるのは、「一度だけ正しい結果を出すこと」ではありません。同じ検体を複数回検査しても、常に同じ結果が得られる、いわゆる再現性の高い検査が求められます。なぜなら、食品の安全性は常に一貫していなければならず、検査結果が都度異なってしまっては、消費者は安心して食品を選ぶことができないからです。真度(Accuracy):測定値が真の値にどれだけ近いか精度(Precision):複数の測定値がどれだけ互いに近いか(バラツキ)食品検査においては、この「正確さ」と「精度」の両方を高いレベルで維持することが必要不可欠です。2. 精度管理の基本概念🎯 「精度」と「真度」の違い食品検査における「精度(Precision)」と「真度(Accuracy)」は、似ているようで異なる重要な概念です。真度(Accuracy) 測定された値が真の値(実際の含有量や菌数など)にどれだけ近いかを示す指標です。たとえば、ダーツで的の中心に命中するイメージです。精度(Precision) 同じ検体に対して複数回検査した際の、測定値同士のばらつきの少なさを示します。これは、ダーツを複数回投げてすべてが近い場所にまとまっている状態に例えられます。重要なのは、精度が高くても、真度が低い可能性があるということです。たとえば、目盛りのずれた体重計で何度測っても同じ値が出たとしても、それが正しい体重とは限りません。食品検査においては、真度と精度の両方を高水準で保つことが信頼性のある結果につながります。🏗️ 検査の信頼性を担保する2本柱:内部精度管理と外部精度管理食品検査の信頼性を確保するには、以下の2つの取り組みが柱となります。内部精度管理 検査機関内部で行う継続的なモニタリングやチェック。日常業務における品質を自ら管理します。外部精度管理 第三者機関が実施する技能試験などに参加し、自機関の検査能力を客観的に評価してもらう取り組みです。これらはどちらか一方では不十分であり、両者を適切に組み合わせて運用することで、より堅固な品質保証体制が構築されます。3. 内部精度管理🔍 検査室内での継続的なモニタリング内部精度管理とは、検査業務の中で日常的かつ継続的に行う品質管理活動のことを指します。これは、検査結果の正確性と信頼性を維持するために不可欠な取り組みです。検査担当者は、定められた手順に従い、日々の検査プロセスを監視・記録することで、潜在的な問題を早期に発見し、是正措置を講じることが可能になります。厚生労働省も、食品衛生検査施設などにおける精度管理の実施方法について、ガイドラインを示しています。登録検査機関においても、このガイドラインに基づいた内部精度管理が実施されています。✅ 主な取り組み項目📌 コントロール試料の定期測定コントロール試料とは、成分や微生物の含有が既知である試料のことです。通常の検体と並行して定期的に測定することで、機器・試薬の状態や検査技術者の技能を評価することができます。コントロール試料には以下のような種類があります:陽性コントロール(必ず陽性になる試料)※ 定量用コントロールの場合(既知の濃度を含む試料)陰性コントロール(必ず陰性になる試料)測定値が期待される範囲から逸脱した場合には、検査プロセスに問題がある可能性が高く、速やかな原因究明と是正が求められます。🔧 検査機器の点検・メンテナンス検査機器を常に適正な状態で使用するためには、定期的な点検とメンテナンスが欠かせません。例として、培養用の恒温器であれば、設定温度が正確に保たれているかの確認が必要です。また、機器の清掃や消耗品の交換も、精度維持の重要なポイントです。点検の頻度や方法は、機器の種類や使用状況、メーカーの推奨基準などをもとに決定し、適切に記録・管理します。📘 SOP(標準作業手順書)の整備と遵守SOPとは、検査業務の各作業に関する手順、使用機器、試薬、注意点などを詳細に記した手順書です。SOPを整備し、すべての検査担当者がその内容を理解し、遵守することで、作業のばらつきを抑え、安定した品質を確保できます。また、SOPは定期的に見直し、必要に応じて改訂することが推奨されます。🧠 属人的なミスの防止には「記録とダブルチェック」が不可欠どれほど優れたシステムや装置を導入していても、最終的に操作するのは人間です。そのため、ヒューマンエラーを完全に防ぐことは困難ですが、以下のような取り組みによって、ミスを最小限に抑えることが可能です。すべての作業を記録に残すこと 誰が、いつ、どのような方法で検査を実施したかを明確に記録することで、後のトラブルに対するトレーサビリティを確保できます。ダブルチェック体制の構築 記録内容や検査結果を別の担当者が再確認することで、見落としや誤解を早期に発見できます。💬 筆者の実体験よりかつて私の現場でも、ダブルチェック体制を敷いていたにもかかわらず見落としが発生したことがありました。この経験から、チェック回数を増やすよりも「チェックの質」と「教育・訓練の徹底」が本質的な改善につながると実感しました。トリプルチェックが必要なケースもありますが、単に回数を増やすだけでは形骸化のリスクもあります。4. 外部精度管理(External Quality Assessment)🏢 第三者機関が実施する「精度確認の腕試し」外部精度管理とは、検査機関の検査能力を第三者機関によって客観的に評価する仕組みです。通常、技能試験(Proficiency Testing)や比較試験(Interlaboratory Comparison)という形式で実施され、同じ試料を複数の検査機関に配布し、得られた結果を相互に比較します。この取り組みによって、自機関の検査精度がどの程度信頼できるかを確認でき、同時に検査体制の改善ポイントも明らかになります。🎯 外部精度管理の目的外部精度管理の目的は大きく2つあります:客観的な精度確認 自機関が提供する検査結果の正確さと再現性を、外部の基準に照らして確認します。相対比較による改善 他の検査機関との比較により、偏りや誤差の傾向を把握し、技術や体制の見直しに活かします。🌐 具体的なプログラム例外部精度管理は、公的・民間を問わず多くの機関が実施しています。以下は代表的なプログラムです:財団法人や民間企業による技能試験日本国内で広く行われている食品衛生関連の精度評価です。例えば、食物アレルギー検査では森永生科学研究所、一般財団法人食品薬品安全センター 秦野研究所などがプログラムを提供しています。FAPAS(英国)やAOAC(米国)による試験プログラム輸出入に関連する成分分析や残留農薬検査など、より国際的な基準で評価されたい場合に利用されます。FAPAS技能試験とは?FAPAS技能試験は、国際規格「ISO/IEC 17043:2010」の認定を英国認定機関(UKAS)から取得しており、信頼性の高い試験として国際的に認められています。この規格は、技能試験を提供する機関の技術的能力を証明するものです。日本では、セントラル科学貿易社がFAPAS技能試験の窓口を担っており、日本語でのサポートも受けられるため、導入や実施もスムーズです。これらの試験に参加することで、世界水準での技術評価を受けられるだけでなく、結果に基づいた改善が検査の質向上につながります。📋 認定取得における外部精度管理の参加義務ISO/IEC 17025の認定を取得・維持するためには、外部精度管理への定期的な参加が多くの認定機関で義務付けられています。これは、検査能力を客観的に証明し、継続的に品質改善に取り組んでいることを示すための重要な要件です。💬 筆者の実務経験より 私自身、ISO17025認定項目ごとに外部精度管理試験の年間スケジュールを作成し、参加漏れがないよう管理していた経験があります。申込時期が限られている試験も多いため、スケジュールの可視化と早期準備は非常に重要です。技能試験の結果は、認定審査における技術的能力評価の主要な根拠となるため、検査業務の信頼性を担保するうえでも欠かせないプロセスです。5. ISO/IEC 17025との関係📐 ISO/IEC 17025とは?ISO/IEC 17025は、試験所および校正機関の能力に関する国際規格であり、検査結果の技術的信頼性を証明するための枠組みとして広く認知されています。食品検査機関においても、検査体制の信頼性を担保するために、この認証の取得を目指す事例が増えています。この規格では、以下の2つの能力が求められます:マネジメントシステムの能力(品質マネジメントの構築と運用)技術的能力(検査の妥当性・トレーサビリティ・設備・人材・精度など)つまり、検査結果の「質」を内外に示すための証明書のようなものと言えます。🧪 精度管理はISO17025の中核ISO/IEC 17025の中でも、精度管理に関する項目は中心的な位置を占めています。とくに重視されるのが、「測定の妥当性確認」と「不確かさの把握」です。精度管理の各活動(内部・外部)が、以下のようにISO17025の要件と密接に結びついています:内部精度管理 → 日常の業務における再現性・安定性の確認外部精度管理 → 技能試験により、客観的に技術レベルを証明ISO17025に準拠した運用を実現するためには、これらの管理活動が仕組みとして組み込まれ、継続的に運用・記録されていることが求められます。📎 文書管理や是正措置との連携も重要ISO17025におけるもう一つの重要な要素が、文書化とトレーサビリティです。検査手順書(SOP)の整備と運用履歴の記録機器の校正・点検記録の保存是正措置(異常が発生した際の対応記録)の実施と追跡精度管理で得られたデータは、こうした記録とリンクさせることで、単なる「作業」ではなく、検査の品質保証としての実効力を持ちます。ISO17025の認定取得・維持を目指すのであれば、日々の精度管理活動が単なるルーチン作業に終始せず、「記録の裏付けがある検査体制」として機能していることが鍵となります。6. 精度管理が現場にもたらすメリット✅ 信頼性向上による顧客満足度・ブランド価値の向上食品検査において高い精度管理体制を構築し、安定した信頼性のある検査結果を提供することは、食品メーカーや流通業者といった顧客の満足度を高める大きな要因となります。一度「信頼できる検査機関」としての評価が定着すれば、継続的な取引の獲得や新規顧客からの依頼増加にもつながり、ブランド価値の向上にも寄与します。👩🔬 検査員の力量評価や教育にも活用精度管理で得られるデータは、検査員のスキルや作業精度を客観的に把握する材料にもなります。技能試験の結果から、個々の検査員の得意分野や弱点を把握バラつきや傾向を分析し、教育・訓練の方針へ反映誤差の原因をチームで共有し、水平展開による再発防止へこうしたデータの活用により、属人的な判断に頼らない、人材育成の体系化が可能となります。また、検査員自身にとっても「自分の仕事が評価される仕組み」があることは、モチベーション向上と職業意識の強化にもつながります。🔁 トレーサビリティ強化にもつながる精度管理を徹底することで、検体の受け入れから検査、記録、報告に至るまでの全工程が文書化・記録化され、トレーサビリティの向上につながります。万が一、検査結果に疑問が生じた場合でも、どの検査員が、いつ、どの機器を用いて実施したか測定条件や結果に異常がなかったか機器の校正履歴や使用試薬の状態といった情報を迅速に遡ることができ、原因の特定と再発防止策の立案がスムーズになります。トレーサビリティは「万が一」のときだけでなく、信頼される検査体制を日常的に証明する手段としても機能します。7. よくある課題とその対策⚠️ 管理の形骸化:なぜ「記録しているのにミスが出る」のか?精度管理の仕組みを整え、日々の記録も欠かさず行っているのに、なぜかミスがなくならない――これは多くの検査機関で共通する課題です。主な原因は次のようなものが挙げられます:記録そのものが目的化してしまい、内容が正しく理解・活用されていない記録されたデータが分析されず、問題点の洗い出しや改善に活かされていないSOPどおりに作業することに慣れすぎ、注意力が散漫になっているこれらに対して有効な対策は以下の通りです:定期的な内部監査で、記録内容と実作業の乖離を確認する教育研修を通じて、精度管理の目的や重要性を再認識してもらう記録されたデータを分析し、PDCAサイクルを回す文化を根付かせる精度管理を「作業の記録」に留めず、「品質を育てる仕組み」として根付かせることが、形骸化を防ぐカギです。🧪 検体ロスや時間制限下でのプレッシャー対策食品検査では、検体の破損・紛失・劣化などによる検体ロスがしばしば発生します。また、検体によっては時間経過によって品質が変化してしまうものもあり、時間的プレッシャーも大きな要因となります。こうした課題に対しては、以下の対策が有効です:検体の取り扱い手順の明文化とトレーニングの徹底予備検体の確保による再検査対応の備え作業工程の見直しと標準化による効率向上チーム全体での正確性重視の意識醸成特に時間に追われる環境では、焦りがミスにつながりやすいため、心理的余裕を持たせるマネジメントも重要です。🧩 小規模ラボや検査外注時の対応策小規模な検査機関では、人材や設備が限られているため、大規模な検査機関と同じ水準の精度管理体制を維持するのが難しいことがあります。こうした場合には、次のような工夫が求められます:優先度の高い管理項目に絞って着実に実施する外部の精度評価プログラムを積極的に活用する外注先の選定基準を明確にし、品質要件を共有する検査を外部委託する場合には、ISO/IEC 17025認証などを取得している信頼性の高い機関を選び、検査の範囲と品質要件の明確化精度管理に関する情報開示の確認などの品質保証体制の可視化が重要になります。8. まとめ🎯 精度管理は「コスト」ではなく「信頼への投資」日々の検査業務において精度管理を徹底することは、たしかに手間や費用を要します。しかし、それ以上に、正確で再現性の高い検査結果を提供することにより、顧客や社会からの信頼を得るための重要な投資であると認識する必要があります。「精度の高さ」は、単に技術的な評価を受けるためではなく、検査機関としての信頼性を支え、長期的な顧客関係を築くための基盤となります。🔁 内部精度管理と外部精度管理の“両輪”で品質文化を育てる内部精度管理:日々の作業を安定化し、現場の品質を支える外部精度管理:客観的な評価を通じて、自機関の立ち位置と改善点を把握この2つをバランスよく運用することで、組織全体に品質に対する意識が浸透し、継続的な改善が行われる“品質文化が醸成されていきます。🔄 次世代につなぐために、検査体制は常に進化を食品を取り巻く環境は、科学技術の進歩や社会的な関心の高まりにより、日々変化しています。新しい検査技術やリスクが登場する中で、検査体制を現状のままにしておくことは、安全の後退を意味します。だからこそ、私たちは常に、体制を見直す姿勢課題を具体化して改善へつなげる行動技術と人材の進化を支える仕組みづくりを意識しなければなりません。これから現場に立つ新入社員の皆さんにも、ぜひこの視点を持って業務に取り組んでいただきたいと願っています。信頼される検査機関を未来へつなぐ担い手として、精度管理の価値を実感しながら、一歩ずつ成長していきましょう。◆ PR記事執筆・講習会・販売支援のご依頼はこちらから ◆「こんなテーマで記事を読んでみたい」「1時間程度の社内・社外向け講習会を開催してほしい」「製品やサービスのPR記事を執筆してほしい」「製品のリンクを掲載してほしい」「自社製品・サービスの販売を取り扱ってほしい」などのご要望・ご相談がございましたら、お気軽に質問フォームよりご連絡ください。皆さまの声をもとに、より実用的な情報発信を目指してまいります。